唐十郎さん死去!? 伝説の演劇人、その生涯と功績を振り返るアングラ演劇の巨匠とは!!?
アングラ演劇の旗手、唐十郎が逝く。社会を鋭く批判する過激な作品で知られる劇作家・演出家の生涯と、寺山修司との因縁、そして伝説の舞台「腰巻お仙振袖火事の巻」復活!
💡 唐十郎さんは、劇作家・演出家・俳優として、社会問題を鋭く批判したアングラ演劇界の旗手であった
💡 状況劇場や劇団唐組といった劇団を率い、数々の革新的な作品を発表した
💡 彼の作品は、現代社会における人間の存在や矛盾を深くえぐり、多くの観客を魅了してきた
では、唐十郎さんの生涯や劇団の活動について詳しく見ていきましょう。
唐十郎の生涯と劇団の活動
唐十郎の代表的な劇団は何?
状況劇場
唐十郎さんの作品は、社会や人間の矛盾を鋭くえぐり出すもので、とても刺激的ですね。
公開日:2024/05/06

✅ 劇作家・演出家・俳優の唐十郎氏が84歳で亡くなった。
✅ 唐氏は1960年代に天井桟敷の寺山修司らと共にアングラ演劇を確立し、社会状況を反映した「状況劇場」という演劇スタイルを確立した。
✅ 唐氏の演劇は特権的肉体論に基づき、肉体の特性を前面に出した演出で若い世代から支持を得た。
さらに読む ⇒ニュースサイト出典/画像元: https://mainichi.jp/articles/20240506/ddm/041/040/092000c社会状況を反映した「状況劇場」という演劇スタイルは、まさに唐十郎さんの個性と才能が光るものだと思います。
唐十郎(本名:大鶴義英)は、1940年2月11日に生まれ、日本の劇作家、演出家、俳優、小説家として活躍した。
明治大学文学部文学科演劇専攻を卒業後、1963年に劇団「状況劇場」を旗揚げし、社会問題を鋭く批判する過激な作品で知られた。
状況劇場は、花園神社での紅テント公演や新宿西口公園事件など、社会現象を巻き起こした。
唐十郎は、1964年に処女戯曲『24時53分「塔の下」行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』を発表し、その後も精力的に戯曲作品を発表し続けた。
代表作には、『少女都市』『愛の乞食』『吸血姫』『夜叉綺想』『腰巻お仙』シリーズなどがある。
1967年に韓国系日本人女優の李麗仙と結婚し、長男の大鶴義丹をもうけた。
しかし、1988年に離婚し、状況劇場は解散。
1989年に再婚し、長女の大鶴美仁音と次男の大鶴佐助をもうけた。
89年に劇団唐組を旗揚げし、2019年には唐組が唐十郎の傑作戯曲『ジャガーの眼』と『ビニールの城』を上演することを発表した。
唐十郎のゼミ出身者によって結成された劇団唐ゼミ☆は、2019年1月12日から第28回公演として『ジョン・シルバー』『続ジョン・シルバー』を上演した。
唐十郎の初期作品であるこれらの戯曲は、1960年代アングラ勃興期の傑作として知られている。
唐十郎さんの演劇って、どんな感じなんですかね?
唐十郎の功績と晩年
唐十郎さんの代表作は?
「泥人魚」です
唐十郎さんの功績は、演劇界に留まらず、社会全体に大きな影響を与えたと言えるでしょう。

✅ 劇団唐組の旗手であり、日本の演劇界に大きな影響を与えた唐十郎さんが、急性硬膜下血腫により84歳で亡くなった。
✅ 唐さんは自宅で転倒し、中野区内の病院に搬送されたが、帰らぬ人となった。
✅ 奇しくも亡くなった日は、劇団唐組の代表作「泥人魚」の初日で、唐さんが紅テントを立ち上げた新宿・花園神社で行われた。公演は予定通り行われる。
さらに読む ⇒デイリースポーツ online出典/画像元: https://www.daily.co.jp/gossip/2024/05/05/0017617835.shtml唐十郎さんの死は、日本の演劇界にとって大きな損失です。
唐十郎は、劇作家・演出家として、1970年に『少女仮面』で岸田國士戯曲賞、1983年に『佐川君からの手紙』で芥川賞、2003年には『泥人魚』で鶴屋南北戯曲賞など、数々の賞を受賞した。
2021年には文化功労者にも選ばれた。
唐十郎は、俳優としても映画やテレビドラマに出演し、他の演出家に脚本を提供することもあった。
唐十郎は、2023年5月4日午後9時1分、急性硬膜下血腫のため、都内病院で亡くなった。
唐十郎さんは、アングラ演劇の旗手として知られ、劇団唐組を率いていた。
代表作には『泥人魚』などがある。
唐十郎さんは、1日に自宅で転倒し救急搬送されていた。
5月4日は、同じくアングラ演劇でしのぎを削った寺山修司さんの命日でもあった。
劇団唐組の久保井研さんは、唐十郎さんが「芝居が好きな人だったので、客席の後ろから見守ってくれていると思う」と話した。
唐十郎さんは、12年5月に自宅前で転倒し、脳挫傷と外傷性脳内血腫で半年間入院。
その後は舞台出演はなく、姿を見せる機会も減っていたが、公演は必ず見て、涙でカーテンコールに立つこともあった。
唐十郎さんは、『飯を食うように芝居をやる』と常々言っていたという。
久保井研さんは、唐十郎さんを『目指す山ではなく、はまる沼のような人』と評した。
唐十郎さんの晩年は、どのような活動をしていましたか?
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唐十郎と寺山修司、天才同士の因縁と激動の人生。乱闘、ライバル関係、そして同じ命日…伝説の舞台「腰巻お仙」が50年ぶりに復活!